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October 18, 2008

貧困  Blog Action Day

 貧困について語るとき、人は自分の価値観があくまで相対的なものに過ぎ無いことを認識すべきであろう。メディアを賑わすステレオタイプな貧困のイメージ、、乾燥した大地、やせ細った褐色の肌をした裸の子供達が泥水をすする、、、。 いつのまにか、そんな陳腐な認識を植え付けられてしまってはいないだろうか? 不毛の大地で、雨水をすすりながら力強く生き抜く人達がいる、、その一方で、物資のあふれた飽食の福祉国家日本で、生活保護の恩恵を受けることも無く孤独死する人達、もしくは十分な資産と社会的地位を得ながらも生きることに意味を見いだせず自らの命を絶つ者も後を絶たない。
物心両面での充実を貧困の対岸とするならば、モノに溢れ、生命の危機にほど遠いこの国で、なんら喜びを見いだすこと無く日々過ごす人達の立ち位置はどこにあるのだろうか?
 永遠に続く夏休み程、退屈で苦痛なものはないだろうし、暑さがあってはじめて涼しさの意味を知り、寒さがあって初めて暖かさのありがたみを知ることが出来る。 実のところ、物心両面において、その収入や安楽の絶対的数値にはさほど意味が無いことは明白である。 現状が、それまでにくらべて同変化したか?それ次第で、全ては決まるのであって、第三者が客観的に何かを指して貧困に喘いでいるというレッテルを貼るのは、かなり無理なことなんじゃないかと思う。
 同じ苦境に立っていても、全く動じない者と困窮する者の二者がいる、、貧困とは後者に陥っている状況を指すのであれば、やはり、制度や状況のみならず、個人の資質もまた大きく関与するものなのであろう。貧しくとも、当事者が困ってないのならば貧困とは言わない訳で、、、、自称先進国の思い上がりの延長線としての富と便利の押しつけだけはことさらに慎むべきと思う今日この頃であった。

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