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November 2010

November 28, 2010

大阪最後の晩餐

大阪最後の晩餐
結局 これかよ

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禁断の

禁断の
これに手を出しちゃ、、まあ、ある意味 粉ものではあるが

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昼飯はやはり

昼飯はやはり
イカ焼きは如何せんパンチ不足。やはり昼飯喰わんと、でも何故か天丼 大阪なのに? 好きなんだから仕方なし。

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イカ焼き ふたたび

イカ焼き ふたたび
これ、 もちもちあつあつ もちろんイカ入り

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大阪名物イカ焼きって?

大阪名物イカ焼きって?
毎度の事ながら大阪らしきもん何も喰ってない。 イカ焼き 100円 安い!と思う自分は 再びインドへ向かうべきだろうか?

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朝食

朝食
年寄りなのでお粥

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大阪の夜

大阪の夜
会議を終え、打ち上げも終え。

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3Dなんて要らない

3Dなんて要らない
紙芝居みたいな3Dなんていらない。 全メーカーの最新3Dテレビ試聴しての偽らざる感想。こんなのに付加価値を感じる人は少ないだろう。 未熟な3D技術を需要の掘り起こしに担いだメーカー各社の前途はかなり心配。

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November 27, 2010

電源つきがステキ東海道新幹線

電源つきがステキ東海道新幹線
電源つきがステキ東海道新幹線
宿題を抱えつつ関西へ向け移動中。PowerBookのバッテリーが切れる前に、自分の集中力が切れるに決まってるけど、やはり気になるバッテリー。電源つきの東海道新幹線はステキだね。仕事がすすむくんだ。追い詰められた僕には持ってこいの移動手段。

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November 26, 2010

アブラクサスの祭り、、スネオヘアーさんはスネ夫のような髪型で、、

アブラクサスの祭り、、、福島県三春町生まれの芥川賞作家 玄侑宗久による原作は知らずとも、地元国見町や三春町を舞台に、ボウズがロックをするという大まかな内容だけは、そちこちのメディアを経由して知っていた。 ははあ、いつのまにやらともさかりえ やら、本上まなみやらが撮影に来ていたんだなあ、、くらいの印象。 しかしながら、元ミュージシャンであったうつの坊主が、自分を見失い、音楽に救いを求めると言う内容から、一応なんちゃってミュージシャンである自分も観とかなきゃね、とも思っていた。
ラストにくる野外ライブシーンの撮影の様子等が地元新聞で伝えられるにいたっては、かなり気になってしょうがなかったわけで。 住宅ローンの交渉も大詰めを迎えた本日、、SPと悩んだ挙げ句、劇場で集中してみるべきはやはりアブラクサス!!ということで、フォーラムへ立ち寄りました。

淡々としながらも、ラストに向かってコンパクトなエピソードを重ねつつスムースに進むストーリー。 本上まなみやともさかりえ、小林薫等 演技匠者でがっしり脇を固めつつ、ミュージシャンであるスネオヘアーさんが破綻無く、慎ましい夫婦の関係や親子のつながりを見せています。 情念の魂の発露であったはずのラストのライブシーンは音響、映像ともかなり期待していたのだけれども、悲しいかなコンパクトに編集されており、、、なんとも腹3分目程の仕上がり。
ライブに至るまでの過程をかなり丁寧に描いていて、好感が持てたのだけれども、最後のラストで息切れしてしまった、、というより、尺が足りなかったということだろう。 まあ、文学作品の映画化であるわけだから、ストーリーの結末としてのライブの描写があれば作品的には事足りるのだろうけれども、せっかく、スネオヘアーという希代のミュージシャンを主演に据えて、恵まれた音響設備を前提とした劇場上映作品を作ったのならば、極端な話、ライブの映像すらいらないから、フルコーラスの爆音とノイズにまみれた研ぎすまされた音だけで、ラストのメッセージを観客に伝えるくらいの意気込みがあっても良かったのでは無いかと思うのは僕だけだろうか?

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アブラクサスの祭

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November 24, 2010

ホームシアターにフルハイビジョンプロジェクターだって?まず眼鏡買えば?

 多くの映画ソフトがネット配信を迎える時代、、生き残りをかけた劇場が藁にもすがる想いでこぞって導入し始めたのが3D上映によるレンタルソフトおよびネット配信との差別化。 3D元年と呼ばれた2010年終盤に至って、それまでのサラウンド音響のホームシアターへの導入と同様に、あっというまに民生機に3D技術が普及、、家庭での映画ソフト視聴環境は、iPhone, iPadに代表される携帯端末でのミニマムなものから、フルハイビジョンパネルを備えたプロジェクターによる100インチ超の大画面ホームシアターという二極化が進行。
 当然、大の映画好きで、地元劇場に多大なお金を落とし続けている我が家も、本格的にホームシアターの導入を検討することになったのは自然な流れ。 ホームシアター、ピュアオーディオを専門に扱う業者は地元では限られているため、、というよりほとんど一社しかないわけで、さっそく 地元のだやへ相談へ行ってみる。 AVアンプが15万、一個4万円の埋め込みスピーカーが5.1chなら5個、7.1chなら7個、、まあスクリーンは真っ白な壁で我慢するとして、プロジェクターが約20万円、、、。まあ、100万円コースだ。
 これで、フルハイビジョンの大画面、大迫力の音響!! しかしまて、フルハイビジョンと言ったって、僕の裸眼視力はせいぜい0.3、、これで日常生活をしているし、たった14時間前にも劇場でハリーポッター死の秘宝をちびっ子達と堪能して来たばかりだ。べつに困ってはいないのだが、当然我が家の42インチのプラズマディスプレーの番組表なんてぼやけて読めやしないわけで。 どう考えても、フルHD化して描画ピクセルを数十パーセントあげるよりも、二蔓円堂で眼鏡を買った方が、画質の向上は確実かつ激しく安価だろう、、、まず眼鏡買えよ、眼鏡、、。 そういうことだな。

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November 20, 2010

ピュアオーディオの幻想 本物は実は大した事無いって、、

ピュアオーディオ不要論!お金のない音楽好きのやっかみではあるけれど、、。
こんなのテレビで観た方がよっぽどいいや!なんてものの代表に、アリーナクラスのライブやサッカーの試合があると思うけれど、世の中には、ピュアオーディオなる、それこそ一本30万円だの80万円だのもするスピーカーに、高価なアンプ、そして高価なプレーヤーに高価なシールドケーブルを組み合わせて、至高の音質を追求するおじさま連中が存在する。 その、情熱は電源に入り込む僅かなノイズさえ許容することなく、ピュアな音響を探求し続けるのだ。 もちろん、ホールで聴くクラシックなどなら、生楽器のもつ圧倒的なダイナミックレンジや楽器の音色をいかに忠実に再現出来るかという醍醐味があるだろう。
 しかしながら、クラシックの扉を叩く事も無く、俗世に溢れるロック、ポップミュージックの実践者である僕たちは、如何にライブの音が酷いものかを熟知している。 コンサート会場で主に使用される業務用のアンプやスピーカーの特性、ハウリング対策でカットしまくられる中高音域、超デッドな野外ステージ、もしくは残響の嵐のアリーナ、ゲイン過多かつコンプレッサーで圧縮されまくって歪んだボーカル、、、などなど。 ライブで音楽に浸る聴衆の元に届く音楽は如何に劣悪な音質であるかを僕らは知っている。 しかしながら、なぜライブに僕らが足を運ぶかと言えばそれは、その場の空気、音楽というよりも巨大なウーハーから蹴り出される重低音の音圧や振動そのものをお腹で感じたいからだ。そしてなにより、多くの聴衆とその歴史的瞬間を共有出来る喜びだったり、、。
 ステージ上のアーティストは豆粒どころか、粟粒ほども見えず、ステージングのほとんどを前方の巨大モニターで確認するしかないとしても、、、、だ。

 優れた音響やアーティストの細やかな表情までも捉えることが出来るのはライブ会場ではなく、ライブDVDやBDなどである。 しかし、、である、5.1chだのPCMだので高音質、高密度に記録された音源はしかしながら、実際のライブの音とは、まったく別物、異質のものなわけである。 そんなあたりまえの事を横においておいて、このソフトは臨場感がどうのとか、音像の定位がどうのとか、、ちょっと馬鹿げている。 実際のライブの音なんて、めちゃくちゃなんだから、、、。 それを踏まえた上で、5.1chのライブ音響を楽しむのはまたそれはそれで、とても心地よい体験になるには違いない。

 さて、さて、、5.1chを経て、7.1chまで進化を遂げている立体音響、そして100インチフルハイビジョンに3D映像、、、翻って、いまや多くの人が携帯端末の粗末な液晶と、ちゃちなイヤホンで音楽と映像を気軽に楽しめる時代。 両者は一体どこで折り合いをつけていくのだろうか、興味は尽きないところである。

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November 13, 2010

無菌室ふたりぼっち 目の前の人々の奥にある真の物語

 無菌室ふたりぼっち、、同じ出版社の異なる部署に所属する二人の青年が相次いで急性骨髄性白血病という難病に襲われる。 それぞれの人生を見つめながら闘病を続ける二人、、やがて一人は永遠の旅立ちをし、残されたもう一人は、、。
 基本的に、僕は辛い話が嫌いで、闘病記の類いは出来るだけ避けている、、そうでなくても、日々辛い訳だし。 
しかしながら、本作を手にとったのは、そのタイトルの巧みさによるのだろう。実際、イメージ的には閉鎖的な無菌病棟に、旧知の友人同士がいつ絶えるとも知らない未来を見据えながら、どんな時間を共有したのだろうか?という大きな問いが心に渦巻いたからであった。 実際にこの”無菌室ふたりぼっち”を読んでみてわかるのは、編集者としての著者の記述や心理描写の巧みさというよりも、一つの闘病記を如何なる技術を以てしてコマーシャルベースにうまく乗せて、多くの関心を集めることが出来るか?という、出版における一つの成功例であるということ。
 そんな、商業的な様々な事情をさっ引いた後でも尚、感傷を排して、淡々と闘病の日々を記述する著者の文面には好感が持てるし、当事者にしか表しようの無い闘病の日々の思いがストレートに胸に突き刺さる。 著者の飾る事の無い記述は、どこまでも素直で、おなじ立場にある方々の多くが共感出来るのではないだろうか。当然のように提供される医療が、それを受ける側にとって如何に苦痛に満ちた脅威であり、生き続けるためとは言え、それを乗り越えて尚、懐古することすら許されない苦しい日々であることを、飾らぬ言葉で語りかける。
本作終盤、生きるチャンスと患者に関わる多くの人を幸せにすることが出来る骨髄バンクへの登録を呼びかける著者の思いに立てば、この巧妙なタイトルや装丁も十分正当化されるのではないだろうか。

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November 11, 2010

尖閣映像 流出させたのは放送したマスコミ各社 海保官はサーバーにデータを置いただけの話

 尖閣映像流出を巡る、マスコミ各社の報道姿勢には国民の多くが激しい違和感を感じている。 
重要な国家機密とされた尖閣映像を我がもの顔で連日連夜広く放送して垂れ流した挙げ句、
重要スクープを世に出したという高揚感から上気した表情の報道キャスターがその舌の乾かぬうちに、
”犯人はどういった人物で、一体何の目的があるんでしょうか?”などと馬鹿げた問いをコメンテーターに投げかけるのだからタチが悪い。
 
 自ら、濡れ手に粟で掴んだ特ダネでさんざん稼いだ挙げ句に、自らの行為を棚にあげて、情報公開者である海保官を糾弾する立場に立つというのであれば、報道各社は自ら尖閣諸島中国漁船衝突証拠映像の報道、放送を自粛すべきであっただろうことは多くの指摘するところである。
 
 そもそも、情報公開者である海保官はYoutubeのサーバーに 尖閣映像データを置いたに過ぎず、世界規模とはいえ、そのデータには視聴者が自ら能動的にアクセスしない限りは触れることは出来ない。それに対して、報道各社は好むと好まざるとに関わらず、例の映像を連日連夜テレビを通じて垂れ流し、この映像を広く国民に周知したわけだから、そのインパクトと責任は無視出来ないだろう。 情報公開者を糾弾するくらいなら、放送を自粛すべきだったし、使命感に燃えて放送するならば、情報公開者を擁護すべきだろうと言う声が多い。

 個人的には、その国土、資源、人口、軍事力、政治力、文化など多くの点において圧倒的強大さを誇る中国に対して、あまりにも矮小な我が国があらん限りの配慮怠らないように努めるのは政治的判断としては適正だと思う。しかしながら、稚拙な外交活動の挙げ句、文字通り命を掛けて我が国を守っている海上保安庁はじめ多くの現場の志高い人々に政治的失敗の責任を転嫁することは決してあってはならないと思う。 今回の、中国漁船船長逮捕ー釈放ー証拠映像隠蔽ー映像公開ー海保官事情聴取 という流れを受けて、どれほど海上保安庁の現場の士気が低下したか想像に難くない。 その行為の法的解釈はともかく、これは事件というより、組織的情報隠蔽に対する告発および情報公開に過ぎないとの認識が強い。 命をかけて、我が国を守ってくれている人々を、後ろから槍で突き刺すような事を僕らはしてはならないと思う今日この頃。
 

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November 07, 2010

ゴールデンスランバー 勾当台公園からフォーラス前まで、堺雅人が仙台の街を駆け抜ける

 人生初めての地鎮祭を終えて、あばら屋に戻った我が一族。かねてから10歳の娘が観たがっていた堺雅人主演のゴールデンスランバーを家族で鑑賞。 仙台が舞台の本作は公開時にリアルタイムで観ているのだが、2度目はさらに、丁寧な伏線やら、各自の微妙な表情に込められた意味がより良く理解できた。
決して、ハッピーエンドでも悲劇でもない本作の結末はしかし、観るものの心を揺さぶることだろう。4歳から10歳までの4人の我が子もそれぞれの人生経験に照らして本作を堪能した様子。

ゴールデンスランバー

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 以下、劇場観賞後の感想の再掲。、、そうか、今年の2月に浜松で観たんだっけ、、。

ゴールデンスランバー 伊坂幸太郎 原作、中村義洋 監督作品。 主演は、堺 雅人。
名作 アヒルと鴨のコインロッカーの伊坂幸太郎&中村義洋の強力タッグが放つ劇場作品。今回も、地方都市仙台を舞台に緻密な伊坂幸太郎ワールドが展開する。

結構真面目にお仕事した自分へのご褒美として、出張先の浜松で選んだのが、このゴールデンスランバー。いつもながら原作は読んでいない。 
先日、その面白さにやられたフィッシュストーリーや、記憶に深く残る名作、アヒルと鴨のコインロッカーの原作、制作チームの新作とあって、期待も高まると言うもの。 おかげで、新幹線の終電ぎりぎりだったのにエンドロールまでじっくり観てしまい、あやうく延泊を余儀なくされるところだった。

タイトルのゴールデンスランバーは、人気の絶頂にありながら解散した伝説のバンド、ビートルズの最後のアルバムに収録されている子守唄。そもそも、僕はビートルズの呪縛にとらわれていないぎりぎりの世代。本作のタイトルでもあるゴールデンスランバーという楽曲にもなんの思い入れも無い。 それでも尚、本作の根底に流れるノスタルジックな過去と苛烈すぎる現在の対比をしながら、さしたる状況説明も叫ぶべきメッセージもないままに一気に主人公青柳の逃走劇を見せつつ、感情の大きなうねりを巻き起こし、結果的に優れた群像劇に仕上げた原作者と監督の凄さ、そして音楽の持つ力に感嘆した。 また、劇中に大きな印象を残す”人間の武器は信頼と習慣だ”という言葉を体現し、仙台の一般市民の助けを借りながら巨大な国家権力と対峙する主人公青柳のキャラクター設定は、堺雅人の人柄があってこそ、嘘にならないものだったと思う。 音楽は、本チーム定番の斉藤和義、、もちろん自ら音楽好きの僕ではあるが、斉藤和義にも大きな思い入れはないのだけれども、彼やビートルズというネームバリューによる魔法の力を借りずとも、音楽も映像も素敵だったし僕にとって非常に秀逸なエンターテインメント作品であった。

香川照之も語っているように、この映画の凄いところは、オチもなければ、声高に何らかのメッセージや主張を謳っているわけでも無い、、それなのに、本作を観た人達はその心を訳も解らぬまま大きく揺さぶられるのだ。 主人公が死ぬとか、大どんでん返しになるとか、動物が可愛いとか、子役が泣かせるとか、命を大切にとか、地球を大切にとか、友達を大切にとか、、そんなのに一切頼らず、目に見えない何かを僕らに強く突きつけてくる。これこそがほんとのエンターテインメントだろうと思う。 

ゴールデンスランバー

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November 05, 2010

サンバーの鍵を無くしたら、、鍵紛失キーナンバーの刻印は何処に?

 親父の平成14年式のサンバー、、、まあ、とても使い勝手の良い車なのだが、前回のハゼ釣りで親父が川に腰まで使って魚を捕って以来、サンバーの鍵が見つからない。 鍵紛失である、、、中古で買ったサンバー、、合鍵なんぞありゃしない。 こうなれば、愛しのサンバーも鉄の固まり、粗大ゴミである。 まあ、探すのを忘れたころに見つかる事も多い訳で、1ケ月ほど様子をみてみたが、一向に出て来る気配無し、さらには、足を無くした親父はこのままじゃ、魚釣りにも行けず、なんだかぼけてしまいそうである。
 仕方がない、鍵屋さんに紛失した鍵を作成してもらおう。 全ての鍵にはキーナンバーという固有の番号があって、それがわかれば、鍵を作ってもらえるのだ。 鍵屋さんを呼んで、作ってもらうと出張費用がかかって割高(1万円以上)だが、キーナンバーがわかってれば店頭で4000円程で作ってもらえる訳で。
 大抵の場合、新車のキーを渡される時に、いっしょにキーナンバーの書かれたプレートをもらうはずだが、如何せん平成14年の中古車、、そんな洒落たシステムはまだ無い頃の代物だ。 キーナンバーがわからない場合の常套手段として、キーシリンダー(車両側の鍵本体)に刻印されているキーナンバーを見つけ出すという手がある。 多くの場合、運転席側のドアの鍵の差し込み口の内装側のキーシリンダー本体に、シールだったり、刻印だったりで数桁の英数字が刻まれているはずなのだが、年式や車両によってはあったりなかったりらしい。
 さっそく、サンバーの運転席側ドアの内張を剝がしてみる、、キーシリンダーはドアのビームの陰に隠れてそのままでは、よく見えない。 LEDライトで照らしてみるがやはり見えない、やむなくキーシリンダーをドアに固定している金属製のクリップを外し、ドアの外側へキーシリンダーを引っ張り出す。 これで、キーシリンダー本体をくまなく観察できるのだが、やはり探せども、それらしき番号はない。あきらめて、シリンダーをもとに戻し、付近をみてみると、キーシリンダーからロック機構につながる金属アームに怪しげな5桁の数字の刻印が、、、。もしかすると、これなのだろうか?? 地元のスバルディーラーは全て定休日のため、スバルお客様窓口に電話するも、まったくらちがあかない、難しい事はここではわからないので、詳しい事はディーラーに聞いて欲しいとの事。 なんのための窓口なんだろう? やむなく、他県のスバル販売店に電話問い合わせ、、一つの販売店では多分それでしょうとのこと、、他店のサービスの話ではキーシリンダーに刻印が無い場合もあるので、その場合は鍵屋に出張をたのむしかないとのお答え。 うーん、、。 
 地元の鍵屋さんに電話をしてみる、、当店では出張はしてないのだが、その番号は該当がなく、もしかするとアーム自体の製品番号の可能性があるとのこと、、4000円をドブに捨てる事になるかもしれない、、との返答。シリンダーをもっていけば作ってくれますかと尋ねると、ドア側シリンダーとイグニッションでは、構造が多少変わるので、ドアは開くけどエンジンがかかる保証は無いとの事。
 結論としては、やはり鍵作成の出張サービスを依頼するしかないようだ。早速、ネットで地元鍵屋を検索するも、今ひとつ情報が乏しい、、こんなときはまだまだ、電話帳(タウンページ)が役に立つようで、ふんだんな店舗広告のなかから、良さげな店に電話、、”H14年式のサンバーです、鍵作って欲しいんですが、、” わかりました、出張費込みで10500円です、”とのこと。”早速、準備してお伺いします”、、で、すぐに来てくれました。 同じようにドアの内張を外したかと思うとものの10分程で鍵完成!!、、すげえ、、こんなに簡単ならなんでもっと早く頼まなかったんだろう、、、半日、あちこちの内装を外して、あちこちに電話問い合わせをして、、自分の時給を考えたら、はっきりいって相当の浪費だ。 お礼をいって、お支払い。 やっぱり、あれこれ悩むよりも、プロに任せるべきと思った次第。 で、結局、キーナンバーは何処にあったんですか?と問うと、やはりシリンダーではなく、金属アームにありましたとのこと、、やっぱり、鍵屋さんでも、持ってるデーターやスキルにはかなり差があるんだねえ。ともかく、よかったよかった。

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November 04, 2010

壁に掛けたい、、ギタースタンドは場所をとるし、、意外と邪魔な楽器達を美しく置きたい

現在我が家には、エレキギターが三本(フェンダーテレキャスター、ぞーさん、そしてもう一本)。リビングのギタースタンドに載せてあるものの、このギタースタンド、意外に場所を喰うし、ひっかけて倒す事もしばしばで、ギターたちも決して安泰とは言えない。
ギタリストではない、ぼくですらこの状況だから、世の中の家庭にはさぞや沢山のギター達があるのだろう。ギタースタンドに載せっぱなしってのも、ネック反りなど心配が絶えないわけで、、。なにより、邪魔。 かといって、ハードケースに入れて押し入れに収納したんじゃ、ふと手に取ってつま弾くというわけにもいかないし、ハードケースって相当高いし。
楽器店で陳列に使っているハンガータイプなんかいいだろうけど業務用だろうから高いだろうし、、なんて思っていたら、世の中のなんちゃってギタリストの多くがギターの保管場所に困るという同じ悩みを抱えていたらしく、ありました優れものの究極的省スペースなギター収納保管アイテムが。
Photo

これぞ憧れのギターハンガー、、しかも安い!! これで日頃部屋の隅で申し訳なさそうに粗大ゴミと化しているお気に入りのギターを美しく壁にディスプレイしながら場所をとらずに保管出来るという優れもの。 しかも、ギターの自重でフックが開閉するタイプなので、落下のリスクにも対策がちゃんとなされている。 

タンスの洋服といっしょにしまうならこちらが便利

厚みのある、アコギ用はこちら


我が家にはアコギは無いので、まあ、スマートに壁掛けにしよう。これで、古びたテレキャスも立派なディスプレイってね。

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November 03, 2010

虹をみたかい

虹をみたかい
二日連続の完璧な虹 追えるのは五色まで。

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もう良い大人なんだから自分のケツは自分で拭こう

”他人に金を貸すなら、貸すんじゃなくてあげるつもりで与えなさい、でなければ貸すな”
かつて事業に失敗して一家離散に追い込まれた我が一族の主である父の言葉である。
そんな、おめでたい事を言ってるからこそ、彼は禿鷹どもに身ぐるみ剝がされて全財産と家族を失った訳だけれども、それから20年を経て今、その父は再び僕ら家族とともになぜか平和に暮らしている。

父のその言葉は、そんなでたらめな彼の人生を目の当たりにしても尚、心に響くものがあって、実際僕自身の信念にもなっている。 そんな僕だから、かつて所属した大組織での、これだけしてやったんだから、上に従って当然とか、皆自分を犠牲にして我慢してるんだから、お前も我慢すべきだとか、 リターンありきの他人の援助なんて、はなからお断りだ。  親切は、相手が喜んでくれてそれで、自分がハッピーになれる、、だからするんであって、交換条件や見返りを期待してするもんじゃないだろう?? それが、僕の常識なのだが、世の中では非常識らしい。

そんな、無償の親切が信条の僕ではあるが、世の中には一方的に無理難題を押し付けるくせに、いざこちらがいかなる頼み事をしようとも、あからさまに嫌な顔をして決して手助けをしてくれないという、強者も居る。 こちらは、どんなにつらくても笑顔で援助してるのに、いざこちらが困った所でまったくの知らん顔、、これが比率にして10:0なのだから馬鹿にしている。そして、自分がミスをしたのも他人のせい、、自分が不幸なのも全部誰かのせい、、、なんだってさ。周りのみんなも大迷惑、、、結果、今では裸の王様状態。 僕の知っている処世術の一つに、”相手が変わらないなら自分が変わる”という戦略があるのだけれども、これ、どうしたって、こんな輩相手にポジティブな方向には変われない。 結果、かなり関係はこじれてくる、、、周りが甘やかし過ぎたのか?僕が、まだまだみみっちいのか? よくわからないが、、まあ、せめて自分のケツは自分で拭いて欲しいと切に思う今日この頃。 もうちょっと、器用に生きれる人間になろうか?、、、が血圧低いのでまあ、無理だな(どうでもいいやそんなこと、、って思っちゃうのだ)。

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November 02, 2010

ドキュメント道迷い遭難とサバイバル登山家、、なぜ彼らは山で死ななければならなかったのか?

 なぜ、彼女らは山に入り、そして死ななければならなかったのか??緻密な検証から、登山者の死の瞬間までを克明に辿る、登山者のための命のテキスト。阿武隈山系をはじめとする、福島県内でも熊の出没が多く報じられる昨今。熊被害の恐ろしさと、スズメバチ襲撃を恐れて、せっかく購入した白石川水系の釣り券もフイにしながら、主に体のケアと仕事に専心していた今シーズン。多くの方々が今年も山で命を失っている、熊被害ももちろんだが、多くは滑落遭難、、危険は思わぬところに潜んでいるもので、その事故の検証はあらたな犠牲者発生の抑止には欠かせない。近くの県立図書館にMacbookを持ち込んで、しばしお仕事。いつもながら作業は遅々として進まず、豊富な蔵書に目移りするばかり。膨大な書庫から、強烈に僕の目を引いたのがこの”サバイバル冒険家”、”ドキュメント滑落遭難”、”ドキュメント道迷い遭難”の三冊。

ドキュメント道迷い遭難

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価格:1,680円(税込、送料別)


 なぜに、登山もしない僕が山岳関係の渋い書籍を手に取ったのかは自分でもそのときは分からなかったが、サバイバル登山家の第一章まで読み進んだところで時間切れとなり、これらの三冊を借りて行くこととした。 帰宅後、ちびっ子達が寝静まるのを待って、3冊を朝方5時近くまでかけて一挙に完読! はっきり言って、むちゃむちゃ興味深い内容の3冊であった。
 まずは、”サバイバル登山家”、、登山の魅力に取り憑かれ、全てを投げうってより困難な頂を目指していた若き登山家。一つの到達点としてのK2登頂を期に、自分の中で何かが変わっていた。ハーケンを打ち込み、酸素ボンベを背負って目指す頂、、あらゆる装備を駆使して山を征服することに果たして人間としての主体性があるのか?巨費と時間さえ投入できさえすればなんでもアリになってきている現代の登山。 登頂ははたして自分の能力の賜物なのか?それとも、充実した装備のおかげなのか?、、と。 欧米で、全ての装備を解き、我が身一つで崖を登るフリークライミングが誕生! ロープや装備に補助されることなく、自然と肉体との真剣勝負!それこそが、登山なのではないか?と、、いままさに、登山が原点にかえってきている。
そんな思いを胸に、著者は過剰な装備を放棄して、イワナの生息する沢伝いに、釣った魚と取れた山菜を食料の主体としながら、必要最小限の装備での山行きを繰り返す、、。数々のエピソードも読み応えがあるが、筆者が自らの登山で表現している主張にも魅力的なメッセージが溢れている。
サバイバル登山家

サバイバル登山家

価格:2,520円(税込、送料別)


 続いて、”ドキュメント滑落遭難”、”ドキュメント道迷い遭難”、、新聞やメディアを飾る山岳遭難事故の報道は絶えることが無い。本書では、過去に明らかになった滑落遭難事故の数々の事例について綿密な取材、検証を行ったもの。本人および関係者へのインタビューや、遺品となった日記などから、遭難者の入山から遭難、そして救出もしくは発見までをまるで自分がいま体験しているかのような視点で疑似体験させてくれる。そこからは、遭難者のほんの少しの判断ミスや偶然の重なりが、絶望的な遭難へとつながって行く様がありありと見て取れる。各事例の後半部分は、それらの綿密な検証から浮かび上がった事故の要因について示唆に富む指摘や反省点が列記される。登山計画の未提出、家族や友人への事前連絡の欠如、装備の不足、などなど、、。 
ドキュメント滑落遭難

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価格:1,680円(税込、送料別)


 読み終えた後、なぜに僕がこれらの書籍を手にしたのか、なんとなく分かった。きっと、自分の意志でこれらの書籍を見つけたのではないようで、そこには何らかの意思が働いていそうだった。振り返ってみれば、行き先も予定も告げずに、軽装で磯場や山深い渓流に足しげく通う日々、、。しかもその目的から圧倒的に単独行が多い。満足に連絡もせず、数日家をあけることも日常茶飯事となっている自分。
 これ、遭難死亡者の共通項にぴったり当てはまるのだ、、。まず、出発時に行き先と帰着予定を家族に明らかにしているかどうか?、、これで、遭難時の捜索要請発動が数日遅れることとなる。 次に出発時に目的地と経路を計画書として残しているかどうか?捜索要請が出されたとしても、目的地やルートが分からなければもはやお手上げである、、これじゃ絶対に助からない。 遭難ののち無事生還したケースに多いのはいずれも、帰着日時を明確にしていたため、家族がすぐに捜索願いを出し、遭難後すぐに捜索が開始され、しかもルートが明らかになっていて捜索範囲をきちんと特定できる場合だ。 自分は、絶対だめだめなタイプである。
 さて、これらの教訓をきちんと生かして自らを生かせることが出来るのか?それはもう、自分次第というほかに無いだろう、、。 ちなみに、信じられないほどの方向音痴でもある訳で、、。

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