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April 12, 2011

もの言わぬ被災地 福島市で考える子育て

 震災から一ヶ月、半壊した職場も応急工事を続けながらもようやく、業務が軌道に乗って来た。 信じられないような3月末までの底冷えも4月に入りようやく緩み、明らかに頻度と震度にかげりが見えつつ在る余震にも慣れて来た。小春日和の青空を仰ぎながら、堤防下の原っぱで、ハムスターを放しながらあそぶちびっ子や、ジョギングで汗を流す中学生達に多少の違和感を感じながらも、ようやく普通の生活を取り戻しつつある錯覚に陥っていた。
 陰惨な現実から目をそらすように、こぞって能天気なバラエティ特番を組み始めた民放各社へ対する嫌悪感も薄らぎつつあったし、目の前の仕事に没頭する事でかろうじて前向きな自分を保てていたのも事実。 しかしながら、激甚な震災、津波被害から、復興への歩を歩み始めつつ在る他県の被災地をよそに、避難範囲の拡大を含めて今後数年ー数十年単位でしか解決の糸口を掴む事が出来ないであろう福島第一原発の非常事態も冷静に見ていて、本日の30Km圏外の計画的避難地域の発表も、なにを今更という印象が拭えない。
 周りを見渡せば多くの福島市民は厳しい現実を前に、努めて平静を装い、意図的に希望的観測に基づいて日々を過ごさざるを得ない状況だ。 それと同様に教育の現場やそれを統括する立場にある組織も、ある種の希望的観測に基づいた思考停止に陥っている。 もっとも、考えたところで現実は変わらないし予測出来ないのだからやむを得ないのだが、無理矢理、ポジティブな要素を探そうとすればするほど、マグニチュード7を越える強烈な余震と、ほぼバックグラウンドとして下げ止まった福島市の環境放射線量、小学校のグランドのほんのり高い放射線測定量、そして頼りない福島第一原発の保守管理体制という現実とのギャップは開くばかり。 電力供給も含めて原子炉の安定が得られない現状では、いつ再びベントを解放し原子炉内圧を減圧せざるを得なくなっても不思議ではなく、再度放射性物質の放出に至れば環境線量が飯館村とそれほど変わらない福島市が計画的避難区域に入る可能性はそう低くはないことは誰の目にも明らか。 しかしまあ、福島市、郡山市と、巨大な人口を抱える都市部を避難させることは、現実的では無い事もあって、そのあたりに行政のためらいを大きく感じざるを得ない。このまま事態が収束し、福島市の子供達の被曝線量が少しでも少なく済む事を願うのみだが、努めて能天気に過ごしながらも、今後の流れ次第では、行政や県教委の判断に責任をなすり付けることなく、子をもつ親としての自身の判断が問われることになるのかもしれない。 別に、大人自身は特段騒ぐ程の影響は無いし、影響があるとしても自分の好きなように生きて行けば良いと思う、ともすれば危険に身を投じて業務を全うする事である種のカタルシスを得る事すら可能かもしれない。 しかしながら、福島市にあっては子供を持つ親の苦悩はとても深い。

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