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August 2005

August 30, 2005

入院してみた

激しいめまいに襲われ目覚めたのが昨日の朝、、、。日曜日のその日はルーチンワークをざーっとこなしてふらつく足取りで家には戻れずそのまま職場で夜まで倒れ込んでいた。多少なりとも復活して家で眠り、さて完全復活のはずだった今日、、またしても昨日同様、、というより昨日より酷い。吐き気が止まらず、たまらず起き出したのが朝6時頃、、地球は回ると歌ったのが誰かは知らないが、文字通り回り続ける我が視界、、今日は月曜日だし、動ける今のうちに職場まで移動しておいた方がよいだろうと判断!そらまめマーチに飛び乗り職場へ向かう、、も、辿り着くのがやっと。職場のエントランスを一労働者としてくぐる事は叶わなかった、、、、。で結局、そのまま頭部CT、MRIのフルコース後に入院の運びに、、さいわい味噌に問題は見つからず、何より何より。激しく痛む右肩を冷やしながら眠れぬ夜を、、過ごしてる場合ではない。ここは病院なのだし、早速、ヤク(笑)をもらって入眠。これって働き過ぎだろうか、、、それともやっぱり、、、(汗)。

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August 28, 2005

亡国のイージス

ローレライ、戦国自衛隊につづく怒濤の福井ワールドの最後発映画化作品。
ともかくキャスティングが凄い、、、主演に真田広之、共演に寺尾聡、佐藤浩市、中井貴一、吉田栄作、、、そして監督がこれまたすごい阪本順治、、。
このキャスティングでこの監督が自衛隊の内乱と第三国の絡みを描くというのだから、嫌がおうにも期待が膨らむというもの。もはや国家というidentityを失った我が国における、無敵の盾の抱える矛盾、、、守るべきものを見失った盾の行く末は、、?、、ってな具合にかなり際どい設定なのだけれど、実際の映画化にあたっては、相当の毒抜きを余儀なくされたようで、阪本作品であるあの”KT"でみせた切れそうな緊迫感やイデオロギーの匂いはみじんも感じさせない作りになっていて結構拍子抜け。
しかし、タブーをうまくぼかしつつ、うまくエンターテインメントに振っている点、潔いと言えば潔いし楽しめた作品。原作は読んでいないのだけれど、限られた枠の中で、一切の説明を切り捨てて物語をぐいぐい進めて行くのは正解だったのだろうね。原作を読んでなければ、是が非でも読んでみたくなる深みのある作品だった。

リンク: 亡国のイージスOffcial WebSite.

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August 21, 2005

母の墓前にて

寝苦しい夜が明けて目覚めた僕は強いめまいに襲われた。回転性のめまいとともに強い吐き気がこみ上げてくる。
夏の長旅が災いして、予定通り体調を崩した僕は、昨夕念入りなマッサージを受けていたので、もしかすると頸動脈辺りの血栓でもとんだのかもしれないな、、などと考えながら、寝返りすらままならない状態で小脳機能のチェックをしてみる。はっきりした異常もなく、麻痺もない、、ゆっくりとした回転性のめまいは頸部を回旋させると誘発されるようだ、難聴も耳鳴りもなく、、ま、、疲れて頭位性めまいが出ている、、そんなとこだろう。
ふだん飲酒せず吐く事に慣れていない僕にとって、めまいはともかく吐き気がいちばん辛い、、内耳を刺激しないよう出来るだけ体の平衡を保ちながら、もそもそと立ち上がる。
当直から一夜明けた日曜日の今日も拘束日。ふわふわと波乗り気分で仕事へ向かう、、、緊急の新規顧客を入室させ、担当の2フロアでルーチンワークをこなす、、なんとか一段落したものの体調は劣悪、吐き気と浮遊感が続いていて、帰宅して夫や父親としての機能を果たす事は明らかに困難、、。いつまた緊急呼び出しがかかるかもわからないこともあって、職場に仮住まいを決め込みベッドに入った。世の中はお盆を過ぎた夏の終わり、、、僕はといえばお盆に母と義父の墓参りもせずに、北海道を旅していたっけ、、、。帰路、室蘭のフェリー埠頭で買ったまま読んでいなかった小説があった、、こんなだめだめの日ぐらいしか、こころ空っぽにして読書なんぞ出来る機会はない、、いつでも読めるようにBobble Beeのバックパックにしまい込んであった文庫本を掘り出した、、、。
『オラ!メヒコ』というその本は、田口ランディとその友人の共著のメキシコ旅行記だ。読む前から、なんとはなくその本が何を僕に語りかけてくるかは解っていた、、というより、そういう本を欲していたから、この本に手を伸ばしたのだろう。3度目の北海道ツーリングの終焉になぜ僕が偶然にこの本を手にしたのか?そして、なぜ今日、体調を崩したぼくが忘れていたこの本をめくり始めたのか、、それらは偶然であってなおかつ必然だったのかもしれない。メキシコには数年前にアメリカから国境を隔てたティファナという町に買い物をしに僅か数時間だけ入った事があるだけで、まだ未体験の国だ、、メキシコの死者の祭り、、はじめて沖縄をヒッチハイクで旅したときに見た大きな墓を思い出す、、なんでこんなに墓が大きいのだろうか?都心の賃貸住宅程の間取りに大きな駐車場までついている。そこには、日本本土が失ってしまった死者との関わり方がある。
メキシコしかりインドしかり、沖縄しかり、、、死を受け入れる習慣のある土地からみて、非常に際立つのが日本本土の死から目を背けた社会の違和感である。仕事柄、年間数十から百人余のかけがえのない方々の最期を見送る日々を過ごしている僕にとっても、自分の最期を覚悟とともに容認することは容易ではない、、。
それでも、個人年金だの、老後の2ndライフだのを人生の目的に据えて、現在の日々を犠牲にしたり、些細な事にとらわれて他人を許せずに窮屈に生きている人々を見るに付けて他人事ながらとても不安になる。もちろん長寿化が進んだ近年では、健康に対する意識や老後の自活がより深刻なテーマとなっているのは確かであり、それらの努力が実り悠々自適の2nd ライフを謳歌される方も多い、、が、寿命を越えた住宅ローンを組み、手に入れたはずの終の住まいで、人生の最後を迎える事の出来る人などなかなか居ないしかなりの数の方々が老後(親族の有無を問わず)身寄りを失い自らの財産を処分しホームへ入ったり、病院のベッドで最期を迎えるのが現状だ、、。
ベッドから液晶テレビに目を移す、、NHKのニュース、、増え続けるNIETに関して厚労省は働く意欲を高めるためのカウンセリング等を対策として挙げているらしい、、。が、労働が生存の必須条件ではなくなった現在、、死から目をそらして、生存するためという原則的な目的を見失い、労働の根拠を失った彼らに働く必然性はないだろう。
働くのに生存以外のなにか崇高な目的を探さねばならなくなった僕らは哀れな生き物なのかもしれない。自らの人生に限りがある事を認識して、前向きに生きられたなら、、などとほのぼのと思う僕はいま、ベッドを起き出して夕暮れの母の墓前で枯れ果てた花を捨てている。ぬるま湯の中に留まるか、踏み出すか、、再び決断の時期、、さて、、、どうする俺、、。

リンク: 田口ランディ.

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August 20, 2005

いまなお牛くう人々、、狂牛病と変異型クロイツフェルトヤコブ病

牛肉の大好きな僕が、牛肉好きのパラダイスであるインドに渡ったのがおよそ10年前、、、ここインドでは牛は聖なる神の化身であり、ヒンドゥー教徒は基本的に牛肉を食わない。牛肉を好んで食べるのは主に異教徒や旅人のみ、、、つまり需要と供給のバランスから、この地でもっとも需要の少ない牛肉はもっとも安い肉となっていたのだった。
安価に牛ステーキ食べ放題!!そんな極楽な夢を見ていた僕を襲ったのが、”イギリスにおける変異型クロイツフェルトヤコブ病”発生のニュース。
職業柄、プリオン病の恐ろしさは解剖実習のときに叩き込まれていたし、教科書レベルの知識でもその得体のしれない不治の感染症はホラー映画さながらインパクトがあった。不活化が困難で、当時はホルマリン漬けの標本からさえも感染が否定出来ない病原体、、、。プリオン病は牛に起こる狂牛病、羊に起こるスクレイピー、人間でおこるヤコブ病、、、が代表的。いずれも脳みそにスポンジのように鬆が入って狂ってしまうというインパクトの強いもの。イギリスで牛肉入りハンバーガーを食べた若者がこの病を発症したというのが事の発端だった、、。それまでのヤコブ病と言えば、食人族がヤコブ病の人間を食らって感染するか、ヤコブ病で亡くなった人から角膜や脳の硬膜移植を受けた人が感染するパターン以外は老人に多く原因不明とされていたのだが、種を越えて牛の狂牛病が人間に感染するなどということは一般には想定されていなかったのだった。それが、この事件を期に、もしかして、、牛から人へ、、、。という危惧が一部専門家に芽生えたのだった。

僕も、生命科学をかじった一人、、世の中に絶対ないことなどありえないことは十分承知。その日以来10年に渡って牛肉をできるだけ避ける決心をしたのだった。
以降、今日までの十年間、、日本でもやっと狂牛病という病名が一般にも認知されつつあるが、狂牛病と人間のヤコブ病の関連について理解している人はまだ少ないようだ。恐ろしい事につい先日まで、どこぞのお偉いさんが笑顔で”牛肉は安全です、牛肉をたべましょう”なんて笑顔で牛肉を食べて国民にアピールするなんて茶番がまかり通っていたのだ。それを目の当たりにした僕はそのおめでたさに思わず笑ってしまったものだった。もちろん正しく処理された牛肉自体は安全なんだろうが、脳や脊髄に含まれた異常プリオンが解体に際して牛肉に付着する可能性を絶対に否定することなど出来ないはずだ、、なんと無責任なと呆れたものであった。人命に直結する輸血製剤のウイルス感染のスクリーニング検査でさえ100%安全を担保することが出来ずに輸血由来のウイルス感染が一定の確立で起こり続けているというのに、牛のプリオン検査の感度や特異度がいか程のものとしても100%安全ということはあり得ない話だ。

インドで牛肉をあきらめてから、専門家が地道に危険を叫び続け、絶対に牛から人へは”感染しない”という従来の常識が、数年かけて”おそらく人へは感染しない”へと変わり、かの牛肉を食べようキャンペーンの時期にはすでに”どうやら人にも感染するようだ”に変わり、現在に至っては”牛から人へ感染する”と常識が180度転換してきたのを眺め続けることとなった。なにをいまさら、、といった感がある。
つい半年ぐらい前までは、狂牛病の牛を相当量食べ続けて、異常プリオンをかなり体内に取り込まない限りヤコブ病は発症しないという根拠のない話もあったが、2005年についに日本人にも変異型ヤコブ病患者の発生が認定されるにいたり、この症例がわずか一ヶ月の英国滞在しかないにもかかわらず発症にいたったことから、ますます狂牛病の脅威が予断を許さないものとなり、その結果、輸血を介したヤコブ病感染を危惧し国内における海外渡航歴のある献血希望者への献血制限がなされるまでに至っているのが現状なのである。
ここまできて、手放しでどんどん牛肉を食いましょうという政治家はさすがに居ないのだろうが、このような事情もしらずに牛肉三昧を送っていたり、牛肉輸入の問題をのほほんと眺めていたりする人も多いのだと思う。異常プリオンの感染経路は牛肉のみならず、ゼラチンその他種々の形で世に存在するため、牛肉を絶ったところであまり感染予防の意義はないのかもしれないし、その発症頻度自体わずかであり、大型魚に含まれる水銀問題の方がよっぽど深刻かもしれない。食べる食べないは各個人の勝手自由に決まっているのだけれども、世の人々にはこのような状況を周知のうえで輸入賛成反対、食う食わないを考えるのが気持ちいいと思う(えー知らなかったよーというのは後味がわるいだろう)。牛肉大好きの僕としては、食べたいのは山々だが、検査体制や解体手順が未整備な現状では自身も家族もいまのところは出来るだけ控えておこうというスタンスを取らざるを得ないところだ。一刻もはやく、心配せずに牛肉ライフを堪能出来るよう関係各所には望みたいところである。
リンク: 牛海綿状脳症(BSE,狂牛病)と(新)変異型クロイツフェルト-ヤコブ病について・・・横浜市衛生研究所.

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August 19, 2005

05北海道ツーリング1

<1>
2002年と同じ面子で再び北の大地を目指すこととなったこの夏、、。
しかしながらあいもかわらず予定の立たない社会人、フェリーの予約もままならず、八戸ー苫小牧便を確保した残り二人のメンバーとは別部隊として鬼走り次第で調整の効く青森ー函館便での上陸を目指すこととなった。
今回は、上野でそろえた量販店メーカー製のサイドバックとタンクバックを揃え、平ゴム地獄から脱してかなりスマートな出で立ち。
本日、日常業務を終えた後に自走で青森発、翌AM 1:00のフェリーに飛び乗らねばならない。少なくとも18時に職場を発たなければ約500Km離れた青森へのon time での到着はいかに隼といえども物理的に難しい、、。かなり気合いをいれて日常業務をこなすが、こういう日に限って臨時の飛び込みや急変が多く胆を冷やす、、なんとかエンジンに火を入れたのが18時をすこし回った頃、、、国見インターから青森までの一気走りの始まりだ。
今回初装着となるサイドバックが超高速クルージングに耐えられるのか、それが一番心配なところ、、、しかし、リアシートに只乗せているだけの割にその安定性は高く、ウインカーとタンデムステップにバタツキ防止の結束バンドが付いているため走行中の問題は全くなかった。
シートカウルとの接触面もウレタンバッドで傷つくこともなく、ティアドロップ型に形成されたバッグ本体もマフラーと干渉することもない。その形ゆえに容量はさほどではないが、テント、ポール、シェラフが入りさらに余裕があると使い勝手も良好。荷崩れの心配をせずに軽快に青森への歩を進めて行く。
kitatur1
、、、が、しばらくひた走ってふと見上げた看板はまだ仙台、、、80/500しか来ていないのか、、。疲労感がどっと押し寄せてくる、、手近なSAで食事をしほっと一息、、やっぱり遠いな青森、、。仙台ー苫小牧便を逃した痛さがここにきてこみ上げて来た。重い腰をあげて再びスロットルを8分の1ほど開け続ける、、、走行200kmを越えるころやっと距離感が本土モードから道内モードに切り替わった(というか麻痺してきた)、、おおあとわずか300Kmやん、、、。こうなればこっちのもんでブイブイと青森到着!!日付が変わるまであと30分程であった。

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August 16, 2005

観たぞ!Fly Daddy Fly !!

また、大切な友人が一人亡くなった。全てはスムースで再発もなく、これならなんとか行けるか!と希望を見いだした時期もあっただけに、、みなでがんばり抜いた上での最期だった。彼は正義の人、良き父であり、夫であった。
全力は尽くしたものの、相変わらずの無力感に苛まれる。暗い気持ちで迎えた翌日は恒例の勉強会。その勉強会にはぜひ出席して、今回の反省点などを整理したかった。
その日は幸いOff日、10:00に新幹線で会場へ。自身を少しでもbrush upしたいという思いと、旅に備えて、タンクバックや雨具を上野でそろえたいという下心もあった。
降り立った上野は猛暑、、上野のバイク街も寂れる一方で、ある量販メーカーの一社独占状態、どこの店に入っても陳列された商品は同じという有様である。あまり悩まずに、タンクバックとシートバックを購入、、。お気に入りのGoldwinのジャケットを購入した例の店も既に姿を消していた。やはり時代は郊外店舗を望んでいる、、バイク商品なら尚の事駅の近くである必要はない訳だ。
重い荷物をかかえ汗だくで上野駅へ戻る、さて勉強会まではまだ時間がある、旅立てばなにか映画を観たくなるのが僕の性分、、いまなら”亡国のイージス”だろう、しかしこの荷物では如何ともし難く、先日ミリオンダラーベイビーをみたあの劇場までの移動もままならない。頼みのコインロッカーも、肝心のコインがない、、、やはり一度ホテルへ入る事にする。
辿り着いたホテルにはなんと立派なシネコンが付帯しているではないか!僕には珍しいラッキーさ。いつもなら汗だくになりながら右往左往這いずり回ったあげく時間切れ!!という展開なのに、、、最近歳をとってあきらめが早くなったのが幸いしている様子、、妙に粘らないのが良いのかもね、肩の力を抜いて生きるとはこういう事なのだろうか(笑)。しかも、地元では7月29日に上映終了となり、まんまと見逃してしまったあの ”Fly Daddy Fly"を上映しているじゃないか!しかもOn timeだ!!こいつは辛い出来事のあとのささやかなHappy 、、ありがたく鑑賞。
 ”Fly Daddy Fly"は期待どおりに楽しめる作品で、主演の堤、岡田組のよさも去ることながら、見事なbi playerに恵まれていた。やはり人とのつながりが大切、決して一人じゃないんだと思える仲間がいることがいかに大切かということを楽しく語りかけているような作品。
さてとてもよい調子でチェックイン、勉強会スタート、若手精鋭によるレクチャーは目新しさはなくとも、現状を再確認する意味で楽しい内容だった。
さてその後の親睦会のアナウンスがあり、、迷ったものの、クリアランスが問題となった例の事例について意見を訊くべく勇気をだして会場のへ行ってみる、、僕もすこし神経が太くなって来たみたい。テーブルには顔なじみの面々をはじめ全国から50人程が集っていた。訊いてみればくだんのクリアランス遷延はよくあるらしい。なるほどね、、。
久しぶりのメンツにご挨拶、、他に各地の面々と楽しく話した。
目的を共にする方々と話し、ああ、、一人じゃないんだなあ、、と勇気づけられたひとときだった。やっぱり一歩前に出て行く勇気は大切で今日の映画も、そして勉強会もそれを印象づけていた。
リンク: NEWS.

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