人生に疲れた 死にたい老人たち
仕事柄、ご年配の方とお話することが多い、、。どなたも皆、健康上の何らかの問題を抱えている方ばかりであるのだけれど、実際には、肉体的にそれほど深刻な問題を抱えている訳でもなく、自らの近況報告と数少ない月に一度の外出の動機として僕らを訪れてくれる方々も多い。
自らの健康状態について、かなりの関心を持ち、更なる健康増進のために高価な健康食品を求める方も居られる一方で、少々心配な所見があって、検査を勧めるのだけれども、どうせ年だから、、と、積極的な医療介入を望まない方もいらっしゃる。 端的に言うならば前者と後者の違いは、生への執着の度合いであろうが、そのもとになっているのは、単に死や病への恐怖にとどまらず、これまでの生にまだ満足を得ていないからであるとか、もう自分は十分生きた、限りある資源は後進に譲りたいという思いであるとか、さらにはもっと複雑な心情がかくされているとか、人それぞれなのだろう。
いやあ、もう年ですから、いつお迎えが来ても構わないんです、、と笑顔でおっしゃる方々も、定期的にきちんと顔を見せてくれる訳で、他者との交流や会話を欲していることは明らかである。延命は望まないけれど、誰かしらと時間や空間や想いを共有したいのである。
年齢を重ね、長い歴史を生き抜いてこられた年代の幾人かが、我らの前で寂しげに繰り返すのは、”もう、、だれもいなくなっちまったんだ、、”という言葉である。 その人生の大部分において、共に苦楽を分かち合って来たはずの、血縁者や友人達、、彼らが一人、また一人と年老いては逝き、、、その思い出溢れる住まいや地域にひとり残された時、人は何を思うのだろう。 他者の意識の中にこそ、真に存在しうる自分、、それらを喪失してしまった悲しみは、未だ僕には想像の及ばないところである。世に氾濫する”老人性うつ”などというもっともらしい専門用語に収束させられるような単純な問題とは思えない。必ず誰にでも平等に訪れる老いと死、、自分でそこまで到達しなければ見えない風景がきっとあるのだろうと思う。
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