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March 2011

March 31, 2011

原発事故 迫る始業式と放射能 避難させた子供達をいつ呼び戻すべき?

 派手な水素爆発から2週間以上が過ぎ、すでに殆どの日本人が飽きてしまった感のある福島第一原子力発電所の事故。 世間が、環境放射線量のテロップを気にも留めなくなった現在も尚、事態は刻々と進展し、ベントの解放による大気への放射性物質の拡散、水素爆発、原子炉燃料棒の冷却水漏れによる加熱炉心溶融、格納容器の破損、使用済み核燃料プールの加熱、トレンチを介した高濃度放射性物質の海水への大量流出と事態はどんどん悪化。 冷めて行く国内の注目に反して、原発事故が深刻さを増し続けることに対して、アメリカ、フランスなどの原子力先端国の技術者達が続々と、日本に乗り込んで来ている。
 マスクも付けずに、品薄のコンビニへ子供の手を引いて買い物に出かける親子や、マスクを付けてジョギングに励む中学生、、普段と変わらぬ保育所の風景などなど、、事態の受け止め方は、三者三様のようだけれども、子育て世代、働き盛り世代の僕の周りでは多くが、水素爆発直後に妻子を県外に脱出させた方が多い。 
 もちろん政府や東電や、メディアのコメンテーターが強調するように、原発近隣の市町村に比べてさえ不自然に高い福島市の放射線量を以てしても、”直ちに身体に影響は生じない”という意見に異論はない。 しかし、原発からの放射性物質の拡散が止まらない限りは、いや、止まったとしても放射性セシウムやプルトニウムの80年や2万年といった半減期を考慮すれば数時間、数日、数ヶ月、そして数年、さらには数十年に渡って、粉塵、土壌、飲料水、食品などから内外問わず被曝を蓄積していくことは避けられない訳で、今後この地で育児をして行く事に多くの親は不安を感じないはずがないわけで。
 あの水素爆発後の高濃度の環境放射線が降り注ぐ中でも、早期の始業開始を謳っていた福島市の小学校。 しかも、殆どの世帯が断水、停電、食料品不足に陥る中、、”お弁当持参で登校”とのあまりに能天気なお達しを、トイレの水も流せない各家庭に通知したのだから、目も当てられない。 結局、私立学校の多くは早々に、事態を認識して始業延期を決定したのとは対照的に、市内の小学校は、一日毎に、始業延期の通達を訂正し続け、最終的に4月6日始業となったわけだが、それもどうやら近隣の郡山市等が始業を4月11日からと決定した事を受けて右に倣えしそうな予感。
 ここで、多くの父兄が悩んでいるのが、県外の実家等に避難させている我が子達を、いつ福島に戻すべきか?? という事である。今日も、あちこちの職場では、この話題が飛び交っている。 事態収拾のめどが経たない原発事故、、現状分析能力に不安がある県教委、、はたしてほんとに4月11日に始業となるのか? 経営トップ自ら、事態の沈静化のみ通しが立っていないと明言する中、刻一刻と事態が変わる原発のニュースに耳を傾けながら、子供達を安心して通学させることが出来るのか、、呼び戻した途端に、ふたたび避難となりはしないだろうか? 今後十数年をこの地の環境のなか育児をすることが適切なのか? 多くの父兄が抱えるこれらの疑問に対して、明るい答えが返ってくる見通しが現時点では全く立っていない。 とは言え、我が家も含めて、共働き世帯では子供達だけでの他県避難を継続することも難しい。 いっそ、転出して他県で家族揃って一から生活を立て直すべきなのか、 震災後の津波被害を受けた南三陸各地が、苦しいながらも復興への一歩を歩み出しているのと対照的に、福島市の被災はこれからが正念場のよう。 様々な情報が交錯する中、教育者の判断の基準は何処にあるのだろうか? 
http://takedanet.com/2011/04/post_2f0b.html
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-entry-1739.html

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March 30, 2011

Power Book 水没、、大震災のその後で

震災から18日が過ぎ、慌ただしかった目の前のゲストへの対応や職場の混乱収拾に一段落が付き、ようやく自分自身の身辺に意識を向けられるようになった僕の目にしたものは、水没して憤死したPower Book 12 inchの残骸と、スタッフの休憩室に置いていた大型液晶テレビディスプレイの転落後の残骸、、そして10年以上かけて国内外から買い集めていた洋書や数々の写真集や書籍類の水濡れ後の残骸。 職場内で、ロッカー内の衣類以外で私物に損害が出た人は皆無のようだが、よりによって僕だけ職場内の私物に関して単純計算で40万円を越える損害。

水没したPower Book には大切な業務上のデータが格納されており、仕事にもならない。なんとか、ハードディスクを抜き出して、データを吸い出す事には成功したものの、なんともやるせない結末。お気に入りの、星野道夫の写真集や、ガウディの建築物に関する大型本などなど、とても大切にしていた書籍類も、破断したスプリンクラー配管からの水濡れで壊滅。無理矢理乾かしたものの、原型は留めずゴミでしかない訳で。
さらには、15万円の液晶テレビは、販売店で5年保証に加入していたにもかかわらず、天災での故障は対象外のようで、これもゴミでしかない。 家族に人的被害がなかったことだけでも、幸いとすべきところなのは重々承知ではあるけれども、それでも尚、やっぱりへこんでしまった。 まあ、もともとテレビにしても、書籍にしても、パソコンにしても、スタッフのアメニティとしてだったり、ゲストの慰安のためだったり、純粋に業務用だったりするのだけれども、あくまで私物でしかない訳で、なんの保証もあるはずもなく。 やっぱり、清水寺で3階連続凶を引いた僕の運勢は伊達じゃないとある意味感動。 うーん、、。

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March 29, 2011

復興ムードの陰で

世の中いよいよ、震災、原発事故ニュースにも飽きたらしく、当たり障りの無いACのサブリミナルなCMと、元気出そうよ的な歌番組が花盛り。 他方、4月間近というのに、降雪もしばしばの寒さの中、避難所ではインフルエンザ流行の兆し。 医療機関で、診断、処方を受けても戻る場所はやはり避難所ということで、隔離出来るスペースにも限りはあるため、寒く、乾燥した避難所での大流行が危惧される。

スーパーやコンビニの入荷や、外食業界は順調に回復しているのを日々実感する反面、ガソリンはまだまだ不足の様で、給油待ちの長蛇の列が福島の至る所で続いている。震災、津波後の沿岸地帯も、今後の漁業、産業の復興に向け急ピッチで新しい息吹が芽生える中、忘れ去られたように、福島第一原発周囲20Km圏内には今なお、物流が途絶えた中、取り残された方々が苦しい日々を余儀なくされている。
今回、日本を襲った未曾有の災害について、僕らは改めて震災による津波被害と、原発事故を明確に別けて考えるべき時期に来ているのではないだろうか?

今、最大の関心事は、福島第一原子力発電所周囲の退避区域が、今後数ヶ月の内に退避解除となる見込みがあるのか、それとも数年ー数十年単位で封鎖されてしまうのかどちらなのかというシンプルな問いだろう。 政府は、答えが出ているのであれば、速やかに今後の見通しを開示するべきだ。日々、一進一退をつづける放射能漏れの小出しのニュースに釘付けになっているような非生産的な日々に決別するためには、避難者達への道筋を明確に示してもらう必要がある。 今回の事故を受けて県内から、我が子を県外に退避させた父兄は数多い。 彼らの、一番の関心事は、いつ愛する我が子達を、ふたたび地元に呼び戻すべきなのか?呼び戻してもいいのか?という点である。

わずか一時間あたりの観測放射線量を、年間の被曝基準と平気でならべて比較した上で安心を強調する等、非科学的な表現が多すぎる各種メディアのコメンテーター。 CT検査の被曝量が一回600uSVだから、水素爆発後の福島市の環境線量10uSV はそのわずか60分の一に過ぎませんよ、、なーんて、言ったって3日間も福島市の屋外で過ごせば、あっというまにCT検査の線量なんて越えるのに、あまりにも誤解を有無表現。他方、飲料水については、逆に年間の基準を持ち出して不安を煽るなどと、彼らの発表、報道は支離滅裂。 是非とも、客観的かつ、適格な情報の即時開示をお願いしたい。 飲料水の放射線量が基準値を下回ったから、規制解除!なーんて言われても、またしらないうちに、基準をオーバーしている可能性は否定出来ず、僕らがそれを再び知り得るるのはすでにポットでお湯を沸かしてカップ麺なりを食べてしまってからになるはずだ。 たびたび繰り返される”安心です、直ちには健康には支障が無いです”、、なんてアナウンス、、直ちに健康に支障が出るってどういうレベルなんだろう、、直ちには被害は出ないけれども、少ししたら健康に害が出ますよというアナウンスにも等しい表現。 風評被害を産んでいるのは、情報開示の不適切さに他ならないだろう。 すでに、職場や業界など身の回りでも有能な人材の県外流出が始まっている。 放射能汚染の影響は数十年を経て統計的に検出出来るくらいの息の長いものであるから、直接的に事故と健康被害の因果関係を推し量ることは困難。 今回の事故よりも、タバコ一本吸う方がよほど危険と言う意見も多々あるし、、個人的には日常的にバイクに乗る方が確実に死亡率を上げることは経験的に納得出来る。 しかしながら、長期的にみて、出来るなら当該地域での育児を避けたいと思うのは無理からぬ事だろう。

さてさて、将来的な人材の流出、過疎化の進行など、今後当該県の抱える課題は根深い。 しかしながら、震災復興の旗印のもと、熱し易く冷め易い人々の気質と相まって、なんとなくなあなあで、真に負のイメージを孕んだ問題は、意図的に封殺されて忘れ去られて行くのかも知れない。  うーん、ほんとに学校予定通りはじまるんだろうか?

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March 25, 2011

福島第一原子力発電所の稼働維持、廃炉回避のシナリオ

震災に引き続く福島第一原子力発電所の放射線漏洩事故から約2週間。
熱し易く冷め易い日本人、テレビ番組も災害情報では視聴率を稼げなくなったらしく、震災や放射能に関する報道はひとまず陰を潜めて、以前と変わらぬ非生産的なバラエティ番組が華々しく画面を飾っている。 もっとも、被災地でテレビを見て過ごすにも、風や雨に乗って確実に体内に入り込んでくる放射能の恐怖を煽る報道番組ばかりでは、気も滅入るわけで、能天気なお笑い番組も大きな役割を担っているのも事実。

だがしかし、この熱し易く冷め易い、飽きっぽい日本国民にとっては、この盛り上がりも明らかな幕引きもなく、長期的な影響を及ぼし続ける放射能汚染事故は致命的。 緊張感が途切れて、危機意識が下がってからが、今回の事故の災禍が本格的になる可能性が高い訳で。 被災地の土壌汚染、農業の廃絶、地価や不動産価値の毀損、、、損害は計り知れない。 このおとしまえを、加害企業はどう着けるつもりなのだろうか。
金銭的な補償には、増税と言う名の国庫負担も加わるのだろうけれども、東電本体はどう動くのだろうか?
もちろん、自治体の原発誘致に際して、放射能事故という多大なリスクと引き換えに多額の補助金という名の免責取引をした地域住民と首長が企業に対してものを言う余地があるのか僕には解らないが、もはや所属自治体には収まらない被害の拡散が刻一刻と進行している。
ちらちらと、頭を霞める最悪かつ最もありがちな今後の展開は以下の通り。

1、被災者の救済には多額の財源が必要。
2、福島第一原子力発電所を廃炉にすれば、東電本社の経営維持は困難
3、被災者の補償を担保するためには原発の稼働再開が不可欠であり廃炉の選択肢はない
4、被災者をも巻き込んで、原発維持の世論を形成。被災者も原発稼働再開を容認

うまく丸め込まれて、こんな感じなんじゃないかと、、、心配しているのは僕だけだろうか。

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March 23, 2011

誰かが世界を回している?

多くの人々が、これは再臨界も不可避かと危ぶんだ福島第一原子力発電所事故も、消防の特殊車両による持続的な放水に引き続く、外部電力の敷設が完了するに及んで、ひとまず全世界が安堵に胸を撫で下ろし、リーマンショックを上回る経済界の動揺も一端収束。 

放射能残留物による生乳や農作物、漁業への影響は深刻ながら、熱し易く冷め易い日本国民の事だから、きっと数年後には、そんな危機的な事故があったことすら誰も振り返ることはないだろう。 人間は忘れるから、生きて行けるというのはあるいみ真実であるのだけれど、ただ忘れる以前に今回、かりにこの危機をなんとか乗り越えられたとして、それがただ単に、その程度の事故だったという風に考えてはいけない。

何事に置いても、無関心な多くの人々や単なる傍観者が溢れる陰で、自分の命や人生、そして家族を犠牲にして問題の解決に日々砕身する一部の人間が問題を解決に導いていることを忘れてはいけない。今回の震災や続発した原発事故に限らず、あらゆる問題において同じ事が言える。 結果だけを見て、ほら、大丈夫だったろう?そんなに騒がなくてもなんとかなるものさ、、なんて、さらっと他人事のように嘯く多くの人々。 しかし、それは大間違いで、誰かが自分を犠牲にして問題の解決にあたってくれたから、ぎりぎりのところでなんとか事態の収拾がついたに過ぎない事を自覚するべきだろう。  ただ、そこにいるだけの多くの人々と、問題の解決に動く極少数の人々、それこそが、組織の本質であり、社会の本質。 結論から言えば、なにもせずにそこにただいる人々、、彼らも組織集団や社会にとってはまた必然である、、というのも真実なのだろうが、やっぱりちょっと、いらっと来ることもあるような。  さてさて、実社会でも問題は山積み、、顧客の利益を守るため県外各施設との交渉も昼夜を問わず、、原理的には、まあ、倒れたら、だれかが後を引き継いでくれるのだろうから安心して燃え尽きてみようかなと思うここ数日。  7日目のカレー鍋は怖くて蓋をあけられない3月の夜更けでありました。

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March 21, 2011

物流に回復の兆し

物流に回復の兆し
時間限定で開店したスーパーにて。

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カレー鍋脱却!

カレー鍋脱却!
なにか別の次元の物体へ変容する兆しを見せていた我がカレー鍋。節操なく日々気の向くままに追加し続けた具材も、各々の主張を曲げず、ほのかな不協和音を奏で始め、人として真正面から向き合うために、相当の覚悟が必要になってしまった我が愛するカレー鍋。 ついに お別れの時が、、。 福島市内の物流も徐々に回復し、外食業界も断水の解除と環境放射線7uSV台と安定を受けて復活の兆し。 生野菜が嬉しいランチです。
でも、やっぱり夜はカレー鍋。

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March 20, 2011

今日もカレー鍋 あさげ付き

今日もカレー鍋 あさげ付き
今日もカレー鍋 あさげ付き うーん、味噌汁つけたが、新鮮味なし ウマイ

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東北関東大震災 大切なのは想像力?ガソリン給油の長蛇の列で学んだ事

もう、ガソリンが無い、、スタッフ一同悩みは同じ。
震災後の数日、不休で働き続けたスタッフ程事態は深刻だ、、食料も、ガソリンも確保するチャンスを失い、これで帰ったらもう明日は出て来れないかもしれない。福島原発が、気の効いた放射性ガスを大気にぶちまけるまでは、自転車や徒歩などで、遠路を通勤することが出来たのだが、県から、移動は出来るだけ自動車で、、という広報がなされるに至って、現状そうは行かない。

職員に供給するためのガソリンを施設として、なんとか確保出来ないか?そんな試みも虚しく、給油事情は悪化するばかり。 幹線道路を埋め尽くす給油待ちの長蛇の列が、救急車両をはじめとする交通の支障になることは非常に問題で、できればあの列の中には並びたくないと思っていたのだが、ついにガソリンも尽き、米沢で5時間、自宅近くで4時間、、給油のために朝から並ぶこと2度。 一応専門職で、非常に切迫した状況にあるゲストを多く抱える僕らが、この非常時になんでこんな非生産的なことをしているのかと情けないやら眠いやら。 しかしながら、この給油待ちの長蛇の列は確実に、邪魔、邪魔、世間の迷惑に他ならない。

19時近く、なんとか一段落したところに、職場の仲間から、”どこそこの給油所が今日開いていてみな並んでいたよ、、” との情報あり。 どのみち、もう店は閉まってしまっているだろうけれども、一応立ち寄ってみると、すでに閉店していたが、なにやら人の気配が、、。 ”すいませーん、、、ガソリン、うちの施設でも皆困ってるんですが、見通しどうですかねー” 尋ねてみると、店員さん曰く、精油所がやられて供給が非常に減っていること、入荷の予定も緊急車両指定給油所が優先されていていつ入るか前日にしか解らない事、給油者とのトラブルが絶えず困っている事、、など、スタンド側も今回の騒動にかなり困惑している様子がうかがえた。 ”そうですか、ありがとうございましたー”と去り際、”今日入った分で、明日も開店予定ですよー”と明日も営業する旨を教えてくれのだ。

早速翌朝、イナ妻を叩き起こしてふたりで、スタンドへ向かう、、時刻は朝6時ちょっと前だ、、お、まだ誰も並んでないかな? と思ったら”すいません、あのー、国道の方に並ぶと皆の迷惑ですから、こっちに回ってくれませんか?ほら皆こっちに並んでるでしょ?”と給油者の列の先頭とおぼしき、中年女性が怖い顔で迫ってくる。 見ると、幹線道路側ではなく、スタンド脇の細い路地にびっしりと車が並んでいる、、うわ、遅かったか、。 ”でも、これどこまで続いてるんですか?” ”知りませんよ、でも、スタンドの前の大きな道路に並ぶと皆の迷惑ですから、あっちに回って下さいね”、、と女性。 まあ、その時点では彼女の理論は大いに理に適っているように思えたため、なんとか先頭を見つけて並ぶ事に。

在来線の高架下をくぐって、あっというまに僕の後ろにも列が続いて行く。 しかし、この道路、、いわゆる幅員1.2車線ほどの生活道路である。沿道には住宅が建ち並び、もはや車両がすれ違う余地はない。 これ、こっちの方が、かなり迷惑じゃないか、、そう気付いた瞬間、目の前で怒号が飛んだ。 沿道沿いの住宅の主が、並んでいた別の車両に食って掛かっている、、当然だ、この数百メートル、沿道の家は自家用車を出す事は絶対に不可能である。 結局、長蛇の列を厳しい目で睨みながら、沿道沿いの家々の出勤者達は、自転車や徒歩で職場へ向かう羽目に。 この騒ぎには、警察も出動、、困惑する警察官に、親切な僕は状況説明してあげる、、”こわい女性が、国道にならぶと迷惑になるからと言って、こちらの生活道路に皆を誘導したんです、、皆、言われるがままに誘導されて、それでこんな羽目になったようです、これはもういかんともし難いですねー” ”はあーそういうことですかー”と警察の方も困った顔。

たしかに、幹線道路にならぶ長蛇の列は、通行の妨げになり非常に邪魔、、そういう風にはしたくないなーと、列を眺めながら常々思っていたけれども、だからといって、こっちの生活道路に誘導してしまったら、それこそ沿道の住民の迷惑は計り知れない。 これに比べたら、二車線の幹線道路沿いに並ぶほうが断然迷惑にならない、、これは、並んでみなければ気付けないだろうし、先頭で皆を誘導したあの女性はこの事態を予想すら出来なかっただろう、、何事も大切なのはイマジネーション、想像力、、あの女性にはそれが少し足りなかったのだ。 かなり、勉強になる出来事でした。

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被災地のガソリン不足 持っていればと後悔したものがこれ、、(東日本大震災、福島第一原発事故)

ガソリン携行缶が運命を分ける?


家族8人の我が家には車が4台ある。 僕のコペン、イナ妻のファミリーカー、じっちのサンバー、ばっちのコンパクトカーである。この一刻を争う原発事故にあって、放射能降り注ぐ中、県からも国からも徒歩や自転車は避けて車で移動するように勧告が出ているが、津波による精油所の破損、他県での買い占めによりガソリン不足が切実な問題。 給水はおろか通勤、通院すらままならないこのガソリン不足。 5時間ならんで給油制限で1000円分だったり、、。車が何台もあっても、ガソリンが無ければ動かないし、給油に向かう途中で渋滞にはまりそのままガス欠になれば致命的である。 震災後のガソリン不足を受けて、そうそうに街から姿を消したものがこれ、、ガソリン携行缶。 県内の店舗では全て売り切れてしまい600CCくらいの小さなものがわずかに残るのみだが、できれば容量が多いものが望ましい。被災地での行動、脱出には大きな助けになるもので、備えあれば憂いなしというところ。被災後、探すもすべて売り切れており、持っていれば、、と後悔した品物。



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カレー鍋5日目 東日本大震災

カレー鍋5日目 東日本大震災
一日づつ具が増えていき、誰も見たことのない未知の料理に変貌を遂げつつある、我が東日本大震災被災料理 カレー鍋 あしたはどっちだ?

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March 16, 2011

東北地方太平洋沖地震 ガソリン不足の現況

東北地方太平洋沖地震 いわゆる東日本大震災と続発した福島第一原発事故 被災地である東北地方へのガソリンの供給拠点である石巻が、地震にひきつづく津波によって大きなダメージを受けた結果、周辺地域の買い占めも相まって震災後のガソリン不足が際立っている。 おりからの停電とも相まって、町中のガソリンスタンドは閉店。 わずかに営業を続けるガソリンスタンドでも、給油を求める長蛇の列。

顧客の避難先である町の中学校体育館と、勤務先を何往復もするなか、我が愛車のガソリンは枯渇。もはやガソリンスタンドまで行けるかどうかというところ。 もっとも、大震災に被災しただけならば、徒歩なり自転車なりのECOライフに立ち返るということで問題の大部分は解決するわけだけれども、福島第一原子力発電所の水素爆発、炉心融解の危機に瀕し、さらには10usvの環境放射線が現に降り注いでいるこの被災地にあっては、たとえ、レントゲン写真一枚の5分の一ですから大丈夫!なーんて、東京のスタジオのしたり顔のコメンテーターが100%他人事面して叫んだところで、不安になるのは仕方が無い事だろう。  そんな不安のなか、雨と雪と放射性同位元素が降り注ぐ中自転車や徒歩で通勤しろなんて、指示をだす上司がいたとしたら、たとえ実害が無いにしても、そりゃついては行けない。

放射能被曝のリスクに晒され、また、容態の切迫した身動きのとれない高齢のゲストを搬送するには、どうしたって自動車が、ガソリンが必要になるわけだが、町のスタンドはすべて閉鎖、、、そして、開店していても、5時間待ちで1000円分の限定給油だったりするわけで、、。 さあ、この危機、どう切り抜けるか?

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March 15, 2011

泣きっ面にプルトニウムはいただけない

坊ちゃんの里で、のどかな路面電車と人の暖かさに触れて、帰郷した翌日。
業務中に、勤務施設を激震が襲った。 すぐさま寝台に横たわったゲストのもとに駆けつけた、僕とスタッフは笑顔で、平静を装い、ゲストを安心させることに努めたが、立地地盤の脆弱さもあってか、スタッフが回想するに、僕の背後の壁と床は明らかにバラバラに離れて、僕が壁から転落するのではないかとひやひやだったらしい。
それが、のちに東北関東大震災と呼ばれる大災害の一端だった。

勤務施設は半壊し、建物内壁のプラスターボードや断熱材などが破断、貴重な機器が相次いで破壊された。 階段からは滝のように水が溢れ、相次ぐ余震に視界に霧がかかるほどの粉塵が舞い上がる中、200名を越えるゲスト達を各フロアから、人力で脱出させるスタッフ達。余震におびえ、舞い散る雪の中を、なんとか避難所へ退避させ、夜通しの管理に従事。二日目にはもう、多くのスタッフの疲労は限界に達していた。 そんななか、追い打ちをかけるように、沸騰し始めた福島第一原子力発電所。 相次ぐ、人災とも思える不手際の連鎖が、制御出来ないかつてない放射能汚染事故へと発展して行く様は、なかば逆切れ気味に、数時間前の情報を遅々として小出しにする東電と、なんの根拠も示さずにただただ、安全性を盲目的に唱え続ける政府の姿とは裏腹に、大いなる意思をもって呆れる程、悲惨な原発事故に事態は悪化の一途をたどる。 ガソリンもなく非難もままならない近隣住民と、避難区域に指定しておきながら、有効な避難措置をとれず、住民を被災地にいたずらに封じ込める失策だらけの行政。

地域に残された、ゲストを支えるべく奮闘するスタッフにはガソリンも、食料もなく、、、ついに屋内退避は周囲30Kmへ拡大。 現場スタッフの決死の対処も虚しく1号機、3号機、、そして2号機、、まさかの4号機と次々と炎上し始める福島第一原発。 原発から、50Km、、、後手後手にまわる避難措置を間近に眺めながら、自らの行く末を決めかね戸惑う住民達。 とどまるのか?大事をとるのか? 屋内退避指定をうけてからでは遅すぎる判断にはもはや自律的な熟考が欠かせない。

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March 13, 2011

悲観論と楽観論

震災後まる二日詰めていた職場より、一旦帰宅もガソリン無し。無策と場当たり的なあたりの楽観論には辟易。 悲観論と楽観論、被災現場ではそのバランスが大切。

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March 10, 2011

ワカサギ釣り 釣果報告2011年3月 桧原湖 こたかもり荘

ワカサギ釣り 釣果報告2011年3月 桧原湖 こたかもり荘。
いつも11月出動を目論む我がわかさぎ釣り部ではあるが、そこは、それぞれ責任のある社会人として忙しい身。そうそう出動ならず、例年シーズン末期の3月出動になってしまう。 2011年も同様に、やっとのことで、桧原湖こたかもり荘からデラックス小屋へ出撃。メンバーはいつもの通り。
さて、3年前の僕の電動リールデビューから一年、、昨年は隊長自ら電動リールデビューを果たす等、急速な電動リール化が進むわがわかさぎ部。 微細なあたりを躊躇無く、巻き上げられる手返しの良さが、結果として積極的な姿勢を生み、釣果アップに多大な貢献をするのがこの電動リール化。 手巻き竿では、いったん上げるのにも一苦労なので、確実にかかっている確信がなければ、なかなか仕掛けをあげることが出来ず、結果として微細なアタリを数多く見逃してしまっているのだ。 さて、今年は、もうひとり電動リールデビューがいたのだが、電動リール3人中、二人が次々と、精密機械であるはずの電動リールを水中にダイブさせてしまうというアクシデントが勃発!幸い、浸水後も、彼らの電動リールは多少の異音を発しながらも、機能を維持していた。
 肝心の釣果の方は、午前中だけで各人5−30匹と凡庸なもの。 もっとも、適度なペースでコンスタントにアタリがあり、飽きる事はなかったが、出来れば爆釣モードにあたりたいもの。 次回こそは、結氷前の桧原湖で腕を振るいたいものだ。

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March 08, 2011

うまかった

うまかった
愛媛と言えば やはりラーメンでしょ、 ん?

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またまた旅立ち

またまた旅立ち
こんどは空路だ。四国へ一路、連チャンはさすがにキツい。

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March 05, 2011

旅立ち

旅立ち
そして、旅立ち
向かうは、大阪。
そして日帰り(汗)

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